2011.03.21
今日のメンテは大工さんと清掃業者さんが入りました。
大工さんの仕事は天井クロス張替に先立つ天井の下地づくりです。
清掃チームの二名は、エアコンクリーニング、水回りと室内クリーニングです。
今回空室となるお部屋は全部で11室。しばらくかかります。
明日の作業は、今日、大工さんが仕上げた天井にクロス屋さんがクロス張りを行います。
元館生のMさん、結婚していまはニューヨークに在住です。
そのMさん、アメリカ人のご主人と二人で、震災に遭った日本を励まそうとウェブサイトを立ち上げました。世界が応援してくれています。
私達も元気をだしましょう。
卒業式の縮小や遅れる入学式ものちのちの思い出に残るエピソードです。
2011.03.20
今シーズン最後の退館引越し。
三人とも来月から社会人です。退館引越しの日取りは、就職先企業の赴任部署が決まり、社宅や社員寮が確定しないと決められません。ということで当館の退館期限いっぱいの引越しとなりました。
さぁ、学生から企業人への変革です。
おそらく入社式の社長スピーチは、我が国の歴史に語り継がれる東日本大震災の年に入社したみなさんは震災後の経済不況に直面し、荒波にもまれるでしょう。そして企業を復興し、ひいては日本経済再生の原動力になってほしい。こんな訓示があるでしょう。
ダイナミックな変革に、若いみなさんの力が如何なく発揮され、企業人として社会人として、これからの活躍を心から祈念しています。
スランプに陥った時、充実感に満たされ誰かに話したくなったとき、ドミほりはいつでもみなさんを歓迎します。
三人なのに写真は二人。実は一人は本人は不在、お母様が荷造り、搬出、最後の掃除をされました。さすが主婦です。きれいなお部屋に戻していただけました。
もちろん近日中に本人が来館されます。
写真はその時までお預けというわけです。
2011.03.19
ドミほりとお別れ

渋谷の交差点
今シーズンの退館引越しが終盤に入りました。
今日引越し退館されたのはM.Mさん。
今朝、お母さまが来館、2人で最後の荷造り。そして午後1時すぎ赤帽さんのトラックに積み込み開始。要領よくまとめられたダンボールで即、積み込み完了。
さぁ、希望に満ちた本格的一人暮らしのスタートです。
ちょっとでも昔に戻りたいと思ったらドミほりに遊びに来てください。
明日の最後の退館引越しは三名。退館が終わると、内装工事、室内清掃、家具搬入、そして入館引越しが始まります。ドミほりの一番忙しい月です。
あいつぐ館生の疎開で、館内は静寂そのもの。おまけに節電で館内は薄暗くなっています。そんな中、疎開していた館生K.Sさんが戻ってきました。
「どうしたの?」
「バイト先から呼び出されて・・・」
小売店を正常に機能させることはとても大事です。それぞれ与えられた役割に責任を持つことがいま一番大事。いまこの瞬間にも、東京電力の社員、自衛官、消防隊員、警察官たちが命をかけて闘っています。持ち場での役割を果たす、そんな人たちがたくさんいます。
海外では、日本が行っている計画的停電は、おおよそ信じられないことのようです。
暴徒もなく、略奪もなく、粛々と従う民衆の姿に驚いているようです。
そして繁華街の自主的節電も。
疎開している館生とそのご家族から、たくさんのメールをいただいております。
「飲料水が手配できます。送りましょうか?」
「電池や米などは足りていますか? 何が必要か言って下さい。こちらで手配します」
本当にほんとうにありがとうございます。お気持ちだけで十分です。
あの地震は、序章でもっと大きな地震がやってくるのでは・・・・。
原子炉の崩壊が進み放射線被害が拡大するのでは・・・・・。
あらゆる生活物資が消えてしまうのでは・・・・。
こんな根拠のない不安も、徐々に消えてきています。
夕方、欠損した部品を補充するために東急ハンズに行きました。
そこでみた渋谷は、灯りは消えていますが、街には若いエネルギーが満ちていました。
一週間前の悪夢はなかったように。これなら心配はいりません。かならず立ち上がります。
さぁ、みんなそれぞれの持ち場に戻りましょう。
落ち込んでばかりいては暗くなるばかり。
制約だらけですが、それでも前に進みましょう。
あたらしくドミほり入館する新入生のみなさんへ。
携帯電話番号と携帯メールアドレスを館長あてにメール連絡してください。
館長のメールアドレスは info@domhori.com です。
2011.03.17
今から38年前の1973年にもこれと同じ店頭表示がありました。
38年という月日は永くもあり短くもあり、大卒で企業に入った新入社員が60歳の定年を迎える月日です。
38年前のパニックの経験を活かせる企業人は、すでに第一線を引退しているでしょう。
過去の経験が活かされていない。だから同じことを繰り返すのかも。
今日もご両親の待つ実家に疎開される館生が相次ぎました。
それに拍車をかけるように東大の卒業式が中止(縮小)になったそうです。