上原は台地
2023.09.27
ドミトリーほりの近くに渋谷区と目黒区の区境道路が走ります。
この道路、今では“航研通り”と称されていますが、原型は江戸時代に飲用水の供給を目的に作られた用水(三田用水)です。その名残からか航研通りのバス停に「三角橋」「二ツ橋」の橋の名がつけられています。今では水なしですが。
また三角橋には宇田川木材が、また二ツ橋には牛久木材と材木屋がいまでも残っています。もしかして三田用水は材木の運搬にも供されていたのかも知れません。
この航研通りには東京大学駒場キャンパスの北門が、さらには東京大学駒場第二キャンパスの正門が設けられ、用水の跡として欄干の一部などが現存しています。
三田用水は江戸時代に作られ、玉川上水の分水の一つになっています。取水地点から江戸市中まで40㎞以上の距離を緩やかな勾配を設けての土木工事の技術には驚かされます。ポンプの無い時代、水を流すために台地の尾根をはうように堀削しています。町名の上原は台地であることを示しています。
東京大学駒場キャンパスの前身は“駒場農学校”で、この田圃への水にも三田用水が用いられていたようです。ちなみに東大駒場キャンパス内にある駒場池(通称“一二郎池”)の水源は湧き水で、空川に通じ、その先は目黒川の水源の一つになっています。
(参考資料 https://mizbering.jp/archives/17779 )