共住生活
2016.11.20
「夜分遅くすみません。私、花子さんと同じ大学、同じサークルの山田と申します。花子さんに連絡したいことがあるので、恐れ入りますが花子さんご在宅でしたら電話口までお願いしたいのですが」
こんな電話のやりとり、携帯電話がないころの話です。
付き合い中の彼女と話をしたいが、連絡手段は家庭の電話しかない。
となると前述のようなやりとりが必要となったのです。
今の人からみればずいぶんとまどろっこしいと思うでしょう。
今は便利です。
携帯電話に限らず、ラインやフェイスブックを使えば他人を煩わすことなく目的の相手との会話が可能です。
固定電話しかなかった時代、連絡つけるにはそれなりに苦労もありましたが、それはそれで良い点もありました。
第一に、目上の人に対する話し方が否応なく身に着きました。第二に、電話口のむこうがどんな環境や状況にあるのかを想像する能力が身に着きました。
もしかして、いま話するのはまずいかなといった具合に。
2012年7月1日付け 日経新聞「春秋」のコラムに興味深い記事がありました。
“(前略)「非家族型」同居生活が心の筋肉を鍛える道場となっていると分析する。(中略)
昔の長屋、親類縁者の同居、旧制高校の寮など、かつては物差しの違う他者と「うまくやっていく」能力をはぐくむ場があれこれあり、組織の強さやご近所の助け合いにつながっていた(後略)“
そういえば数年前のこと、無事に就活を終えた館生から聞いた話を思い出しました。
「履歴書に記載する住所に“女子学生会館ドミトリーほり”と書いたことで面接官が好印象を持ったようです」と
前述の新聞コラムには、非家族方の同居生活が心の筋肉を鍛える道場になっている(社会学者の久保田裕之氏)とありました。頷ける話です。