久米邸
2020.10.13
当館の所在地は渋谷区上原です。
このあたり、もともとは木戸孝允が1913年に開園した約7万6000坪の和風庭園「大山園」の一部だったようです。その後、紀州徳川家15代当主、徳川頼倫に所有者が変わります。
昭和初期の文献によると徳川頼倫の敷地はおおよそ2万坪の広さとありますからおそらく分割したのでしょう。のちに1938年にこの敷地は目黒蒲田電鉄(後の東急電鉄)に売却されます。
一方、久米民之助の父親である久米権九郎も大正初期に、このあたりの土地、上原2丁目一帯約4万坪の敷地を有していたようです。
当時の住所表示は東京府豊多摩郡代々幡町代々木上原1177番地とあります。ちなみに当館の不動産登記の地番表示も代々木上原1177番となっています。
久米民之助の屋敷は4万坪の土地に800坪と言われていますからかなりの大邸宅を住まいとしていたようです。なんでも敷地内には能楽堂や鴨場があったとか。
話しが長くなってしまいましたが、最近この久米民之助の家が群馬県沼田市に移設されることになったようです。大正時代の邸宅、当館のすぐ近くにあります。昨日その解体作業を見に行ってきました。こうして街がどんどん変わっていくのです。