2017.07.19
先週末に脚立から転落して、右大腿部に長さ20センチ、幅10センチほどの擦り傷を負ってしまいました。幸い打撲は軽度ですみ骨折などはありません。
落下した瞬間は、何が起こったのか理解できませんでしたが、脚立、バケツ、小生のメガネが散乱しているのを見て状況はすぐに理解できました。
まずはアタマを確認、右足大腿部以外は大丈夫そうです。
とりあえずは作業中の始末です。脚立やホース、バケツ、雑巾を片づけたところでヌルヌルした感触で出血を認識、その出血でズボンも血に染まっていました。
心配すべきは感染症です。
風呂場に直行、シャワーで傷口を洗いました。
そのあとの処置ですが、大きな絆創膏はありません。
ある館生が薬局に走って医療パッド(ハイドロウエット)を買ってきてくれました。
そして看護学科に進学している別の館生が処置をしてくれました。
念のため医療パッドの上にサランラップを巻き付ける止血処置もしました。
まぁこれで安心なのですが、素人の処置です、万一のこともあり、休日対応が可能な救急病院に出向き、診てもらいました。
医師からシャワーでこまめに洗ったことが適切な対応だったと褒められました。
医師の診断通り、翌々日には出血もとまり、いまでは通常に戻ることができました。
脚立からの転落、この三年間で三回もやっています。年一回のペースです。
これからはもっともっと慎重に脚立に登ることします。
今回は写真はありません。
2017.07.13
ためしに撮って警官に見せた写真
黒クルマめがけやみくもに撮った写真
お互いの視線があっています
気づくとやたらと警官が多い、制服組も私服組も。
直観でVIPの警護だと気づきました。
きっと母も喜ぶだろうと車いすを沿道に寄せ、警官に聞いてみました。
「美智子妃殿下ですか?」
警官、すこし躊躇のそぶりを見せたもののかるく頷いてくれました。
しばらくして、こんな機会めったにない“写真撮りたい”と強い衝動にかられました。
しかしカメラを向けていいものやらわかりません。
そこで勇気を出して警官に聞いてみました。
「写真撮っていいですか」
「空シャッター押して見てください」と。
そこで小生が想定している構図で一枚撮りました。それを警官にみせると
ろくに見ずに
「いいですよ」と
すると今度は私服の警官が
「わたしは警察のものです。妃殿下はクルマの左側に乗られます。写すなら反対側の歩道のほうがいいですよ」とアドバイスしてくれました。
なにやらまわりがあわただしくなってきました。
黒塗りのクルマや白バイが動きだしました。
さて持っているカメラ、ミラーレスです。迅速な対応はできません。
一度シャッター押してから次のシャッターが切れるまで1~2秒かかります。
オートフォーカスも早い動きは苦手です。
やむを得ません、フォーカスを手動にし、勘でピント合わせ、被写界深度を深くするため絞りを8に設定し、スタンバイ。
そして車列がやってきました。どの車に乗られているか近づくまでわかりません。
黒いクルマならかまわずシャッターを押しました。そして二枚目でその写真が。
ようやく撮れた本日の写真、母の見舞い中におこった出来事でした。
もちろん母も手を合わせ拝んでいました。
2017.07.12
今日はある館生のお部屋のユニットバスの壁パネル交換工事がありました。
その主の館生、ユニットバスの壁面スペースを有効に使おうと、吸盤タイプのラックを購入。
このラックにシャンプーやリンスなどを載せていました。
このラック、先般の水回り清掃の時に一時的に外したところ、くっきりと跡がついています。
推測ですが吸盤の素材か吸着をよくするための接着剤、いずれかの化学成分がパネル表面に加工された塗装面に浸潤したようです。
清掃会社の人がトライしたもののダメ。
ユニットバスのメーカーに相談、派遣された人も挑戦してみましたけれど落ちません。使用した薬剤は漂白剤、アルコール、アセトンなど、いずれも吸盤跡は除去できません。
残された策は削る、いわゆる研磨しかありません。
でもこれはダメージが大きすぎます。時間が経過すれば色味が変わってきます。
かえって不自然になります。
こんな経緯があって今日パネル二枚の交換になったのです。
作業時間バラシと組立で4時間、ジョイント部のコーキング剤が乾くまで8時間ほど。
この間、ユニットバスは使えません。
2017.07.09
当館近くに「二ツ橋」、「三角橋」と橋がつく地名があります。
橋とあるのですが川は流れていません。
また近くに材木商が二軒もあるので、その昔は川が流れていたのだろうと想像できます。
ネットで調べてみると、江戸時代に江戸六上水の一つ三田用水がいまのバス通り脇を流れていたようです。玉川上水から分水され江戸城下南西部への給水路だったらしい。
当時の用水路はクネクネしていたようで、後年自動車が走るようになってから直線的に整備された道路は必ずしも水路に沿っていない。
東大駒場キャンパスには通称 一二郎池がある。また松涛公園にも池があります。
これらは上水の遺跡かもしれません。
2017.07.05
当館に一番近いバス停は「代々木上原」です。
渋谷に出るには便利なバスで、当館から歩いて2分ほどのところにバス停があります。
このバス通り、写真右側が渋谷区で左側が目黒区の境界を走ります。
写真の左側に二ツ橋というバス停があり、写真の奥に代々木上原バス停が、さらにその先に松陰学園前(旧 三角橋)バス停と続きます。
この通り、昔は単に“バス通り”と呼んでいたのですが、いつのまにかコスモス通りという名がつけられています。
このバス路線、けっこう由緒正しき歴史があるようです。
1920年(大正9年)創業の代々木乗合自動車が最初に運行開始した路線。
運行は渋谷と三角橋間。この三角橋というバス停、小生にはなじみ深いのですが残念なことに今では前述のとおり松陰学園前という名に変わってしまいました。
当時のバスはT型フォードの改良型で乗員11名だとか。
この三角橋に代々木乗合自動車の営業所があって、バスはここ三角橋で折り返しとなっていたそうです。
代々木乗合自動車はその後、企業合併を繰り返し1929年(昭和4年)に東急電鉄の前身にあたる東京横浜電鉄の傘下に収まっています。
現在は東急バスとなっています。(以上ウイキペディア調べ)
いまから60年ほどの昔、小生の中学への通学はこのバスを利用していました。
当時は都営と東急の併営で幡ヶ谷、東京駅間を運行していました。
今日のように道路が混んでいない時代のことです。
さてバス停にある橋でお気づきのとおり、その昔、ここには川が流れていました。
この川、江戸六上水のひとつ三田用水だそうです。
この用水で材木を運んだ名残なのか、近くには二つの材木商、牛久材木店、宇田川材木店が現存、いまも営業を続けています。
この用水の話はまた別の機会に。