2020.10.18
ドミほり館生巣篭り生活支援プロジェクト第15回
長い題ですが、要は長く続くホームステイへの激励の企画です。
今回も前回に続いて塩ブタです。またかと思われるかも知れませんが、これが案外好評なのです。そう思っているのは私だけかもしれませんが・・・・。
この料理、すでにご案内の方も多いとは思いますが、豚ロースブロックに多めの塩をすり込みキッチンペーパーでくるみ、その上からサランラップで覆い外気に触れないようにし、四日間ほど毎日キッチンペーパーを交換するだけの超簡単料理です。
食材が豚なので大きな切り身のままローストしてもいいし、フライパンで揚げてトンカツにしても良いし、細かく切って野菜炒めに入れるなど、お好みで加工可能です。
今回もそれなりに喜んでくれたようです。
2020.10.17
メーキング
美容院に行ってきました
写真を趣味としていることから、ときおりポートレイトの撮影を頼まれることがあります。頼まれる写真のほとんどが履歴書用の写真です。
過去には就活用の自己PRの動画撮影も頼まれたことがあります。館生のスマホを三脚に固定。館生に照明をあて、私の私物のiPadにストップウオッチを表示し相手に見えるよう掲げ、録画ボタンのOn Offを押すのが役割です。もちろんタイムキーパーだけでなく目の動きやセリフの言い回しや滑舌などについても助言させていただきます。
さて、今日の撮影は履歴書用なのでスチールです。場所は背景が無地でなければならないので駐車場の一隅を利用します。このメーキング映像をご覧ください。
撮影にあたっては事前準備としてストロボをセットし三脚を設置などがあるのですが、この作業中、たまたま他の館生と出会いました。
彼女、昨日美容院で髪を切ってきたばかり。
イメージチエンジ、とても可愛く似合っていますので、記念に写真を撮らせてもらうことに。なんだか履歴書の写真に備えてのテストみたいになりました。
2020.10.16
代々木公園にて
代々木公園にて
注文していた「額縁がそろいました」との連絡を受け新宿の世界堂まで取りに行くことに。
日頃の運動不足の解消のために歩いて行くことにしました。
それも回り道して。代々木公園を抜け、隣の明治神宮境内を歩いていると明治神宮鎮座100年祭の奉祝「夢鈴」の看板がありました。こんな出会い、機会はめったにあるものではありません。なにかの縁に違いない、これはチャンスとばかり“ドミトリーほりにかかわる受験生の皆様の合格祈願”を奉納してきました。
願いが叶うことを切に願います。
さて額を手に入れ、目的を果たし帰路につこうとしたところ、新入館生Pさんが新宿のデパートでバイトをしていることを思い出しました。ちょっと覗いて行くことに。
さてデパートの地下でくだんのお店につくと、彼女、先輩社員さんの陰でこっそりと仕事しているかと思ったらまったく違いました。もうテキパキと、どうどうとした働きぶりです。
「あっ、館長!(すぐに気をとり直して)いらっしゃいませ。お決まりですか?」
「あっ、えーと緑のサラダ300グラムお願いします」
「はいかしこまりました。緑黄野菜サラダ300gですね」
ほかの先輩店員さんたち、彼女のふるまいになんの懸念も抱いていません。もうすっかり社員さんです。かっこよかったです。
今日は15,821歩のジィ散歩でした。
2020.10.14
来春、新社会人になる館生Iさん、昨日はオンライン内定式でした。
事前に内定証が郵送で送られてきています。でもそれは式典の時に用いるもので事前の開封は禁止になっているそうです。
さてその内定式、館生のお部屋ではなくドミほりのパソコンルームで臨むことになりました。そこで他の館生が邪魔にならないよう注意書きを掲示しました。本来なら「ただいまオンライン内定式中」とすればいいのですが、従来からあるものを流用しました。
彼女、10時前にはきちっとスーツを着込んでスタンバイしています。
そして定刻ちょうどにパソコン画面から司会者の声が聞こえてきました。
ここからは立入禁止です。
二年生の館生Oさん、16日から運転免許合宿です。行先は秋田県。
前日の夜行バスで向かいます。
「エッ、こんな時期に免許合宿?」
「安いんです」
なるほどです。自動車運転免許教習所の経営的には、コロナの影響と夏休み冬休みではないオフシーズン対策なのかもしれません。
「だけど大学の授業は大丈夫?」
「リモートで受けます。ちゃんと時間割組んであります」
彼女のたくましさに感心です。“やろうとする強い意志があれば道は拓ける”を実践しています。そしてそれを後押しするのがITです。
前者といい後者といい、私たちの時代では到底考えられないこと。つくづく新しい時代の到来を感じさせる話しです。
2020.10.13
当館の所在地は渋谷区上原です。
このあたり、もともとは木戸孝允が1913年に開園した約7万6000坪の和風庭園「大山園」の一部だったようです。その後、紀州徳川家15代当主、徳川頼倫に所有者が変わります。
昭和初期の文献によると徳川頼倫の敷地はおおよそ2万坪の広さとありますからおそらく分割したのでしょう。のちに1938年にこの敷地は目黒蒲田電鉄(後の東急電鉄)に売却されます。
一方、久米民之助の父親である久米権九郎も大正初期に、このあたりの土地、上原2丁目一帯約4万坪の敷地を有していたようです。
当時の住所表示は東京府豊多摩郡代々幡町代々木上原1177番地とあります。ちなみに当館の不動産登記の地番表示も代々木上原1177番となっています。
久米民之助の屋敷は4万坪の土地に800坪と言われていますからかなりの大邸宅を住まいとしていたようです。なんでも敷地内には能楽堂や鴨場があったとか。
話しが長くなってしまいましたが、最近この久米民之助の家が群馬県沼田市に移設されることになったようです。大正時代の邸宅、当館のすぐ近くにあります。昨日その解体作業を見に行ってきました。こうして街がどんどん変わっていくのです。