女子力よ再びに!
2023.09.28
2023.09.27
ドミトリーほりの近くに渋谷区と目黒区の区境道路が走ります。
この道路、今では“航研通り”と称されていますが、原型は江戸時代に飲用水の供給を目的に作られた用水(三田用水)です。その名残からか航研通りのバス停に「三角橋」「二ツ橋」の橋の名がつけられています。今では水なしですが。
また三角橋には宇田川木材が、また二ツ橋には牛久木材と材木屋がいまでも残っています。もしかして三田用水は材木の運搬にも供されていたのかも知れません。
この航研通りには東京大学駒場キャンパスの北門が、さらには東京大学駒場第二キャンパスの正門が設けられ、用水の跡として欄干の一部などが現存しています。
三田用水は江戸時代に作られ、玉川上水の分水の一つになっています。取水地点から江戸市中まで40㎞以上の距離を緩やかな勾配を設けての土木工事の技術には驚かされます。ポンプの無い時代、水を流すために台地の尾根をはうように堀削しています。町名の上原は台地であることを示しています。
東京大学駒場キャンパスの前身は“駒場農学校”で、この田圃への水にも三田用水が用いられていたようです。ちなみに東大駒場キャンパス内にある駒場池(通称“一二郎池”)の水源は湧き水で、空川に通じ、その先は目黒川の水源の一つになっています。
(参考資料 https://mizbering.jp/archives/17779 )
2023.09.26
昨日のこと元館生のお母様の来訪がありました。お見えになったのはお母様お一人、お嬢さんにお会いできなかったのはザンネンですが、元館生は無事に卒業され、新しい世界に挑まれる道を決断。今は大切な時、落ち着いたらドミほりに遊びに来てください。ドミほりを卒館されてから早2年も経っていました。
ドミほり館生が世に出て活躍されていること、またこれから果敢に新分野に挑戦されていることを聞くと、とても嬉しくなります。ドミほりは常に味方です、応援者です。
さて朝夕に秋を感じ、日中は残暑厳しい今日一日を振り返ってみます。
朝6:00、来泊中だった館生Mさんのお母様が当館を発っていかれました。館生の見送りなしです。もちろん行先は郷里。“まだ寝かしておいてあげよう”母親のやさしさです。
6:30に教育実習に行く館生。本格的授業はまだですが実習先に出向いていきます。
7:15韓国に遊びに行っていた館生の帰国帰館です。「とっても楽しかった!」とドミほりの玄関を入っても興奮が続いていました。
8:20館生Mさんが登校していきます。これに続いて続々と学校に行く館生が続きます。午前中だけで10名。私大はすでに授業が始まっているのです。
2023.09.25
東京大学駒場キャンパスは目黒区と渋谷区にまたがっています。
駒場キャンパスは目黒区に位置すると思われていますが、実際は両区にまたがっています。とくに駒場キャンパスの北門と裏門は完全に渋谷区内になります。一部の教室(建物)は両方の区にまたがっているようですが、詳細は分かりません。
コロナ禍の時は北門、裏門とも閉鎖されていましたが、いまではコロナ禍前の状態にほぼ戻っています。以前は24時間いつでも出入りできたのですが、いまは22:00で閉まります。このため22:00過ぎると塀を乗り越える学生をよく見かけます。
当館から北門まで400m、歩いて5分です。
東大組はまだお休み期間中ですが私大はすでに本格的授業が始まっています。
夏休み中の自習室利用者はほとんどいませんでしたが、そろそろ利用する館生ができたようです。
2023.09.24
早朝散歩で明治神宮に行きました。
朝早くから落ち葉を掃く係員が。この箒、特殊なカタチです。器用に砂利の上の落ち葉だけを掃き集めています。ところがこの仕事、最近ではブロワーが使われています。
十年ほど前に掃除している係員に
「送風機を使えば楽じゃないですか?」と聞きました。すると係員の答えは
「掃き清めるのだからエンジン機は使わない」と言われた記憶があります。
それから月日が経ちました。やがて人が携わらずにロボットになるかもしれません。
当館は青山学院大学に近い女子学生会館です。
徒歩でも通学可能です。季節が良ければ大学からの帰りに原宿、表参道とオシャレな街を歩いて帰宅できます。逆に早朝に発って代々木公園や明治神宮などで心清めてから大学に向かうこともできるのです。