2020.12.03
水回り清掃二日目
退館引越し
見学を終えて
定期水回り清掃の二日目。今日で館生のお部屋は終了。
明日は共用部分のクリーニングになります。大変です。頑張らなければ・・・。
この水回り清掃、業者さんが入る前に、あらかじめキッチンや浴室内の小物類を室内側に避けておいてもらう必要があります。作業に支障が出ないように、薬液が付着しないようにするためです。さて、この退避があまりに見事、整然となされているので思わずちょっとだけ写真で披露させてもらいます。きっと作業スタッフも仕事がやりやすかったと思います。
お昼前にあらかじめのお約束の時間に見学者お見えになりました。
叔母さまと本人の二人、わざわざ岐阜県から上京してくださいました。ありがとうございます。とっても素朴な可愛いお嬢さんです。お帰りになってらご両親に見学してきた印象を報告され、家族会議になるのではと想像しています。ご縁があることを期待しています。
夕方、退館引越しがありました。とりあえず今日は荷物だけの搬出。本人はしばらくドミほり生活の余韻を楽しんでから引越しされるそうです。長く海外赴任されていたお父様の帰国にあわせ一緒の暮らしを予定されています。
2020.12.02
上段は清掃前、下段は清掃後
今日から水回り清掃です。館生のお部屋、台所と浴室・トイレ、エアコンのクリーニングが対象です。水回り清掃、専門の業者さんによって年2回実施しています。
コロナ禍です。今年の夏の水回り清掃の時もそうでしたが自室でリモート授業中の館生がいます。授業の邪魔はできないのでノックせずに直接お部屋に入ります。
もちろんあらかじめ決めておいたタイムスケジュールに沿っています。オンライン授業と清掃作業が重なる場合はドアにその旨掲示しておいてもらいます。
そして、できるだけ音を立てずにクリーンングしてもらいます。もちろん気が散ることを避けてパソコンルームでオンライン授業を受ける館生もいます。
この清掃、作業が終わると館生たちはみな「気持ちいいです!」と言ってくれます。
さぁこの作業、明日も続きます。
2020.12.01
表札の住居地番表示。記念碑のようです。
昔の我が家。まだドミほりは建っていません。1961年
代々木上原駅。私の小学生時代です。この駅舎の右に洋菓子屋さんがありました。
広重の絵です。代々木の地名のもとになった樅木(代々続いた大木)
疫病流行に苦しむ2020年があと一カ月を残すだけとなりました。
厄災と恐怖への慣れ、なんとかなるさ的気の緩みだけは避けたいもの。
年内にコロナ禍収束の兆しがでてくれることを願い、また今日まで館生の中から感染者が出なかったことに感謝し、さらに引き続き感染者が出ないことを祈るものです。
写真は、もう何年も前から気になっていた住所表示の表札の一部です。富ヶ谷、山手通りに面し、記念碑的に保存されています。氏名なしで住居地番だけを残したモノ。
ドミほりの現在地の住居表示は1963年に制定された「渋谷区上原2丁目22番19号」。
これより2年前、1961年当時は「渋谷区代々木上原町」でした。
そもそも渋谷区が誕生したのが1932年10月、それまでの豊多摩郡渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町の区域をまとめて渋谷区となったようです。
これ以前が「代々幡村代々木」。写真の表札の住所表記は「代々幡町代々木富ヶ谷」とあり、すでに村から町に変わっています。町制に移行したのが1915年なのでこの表札はこの年以降となります。とても貴重なもの。写真で当時の風俗などがわかるとさらに情報量が増える。
もう一枚の写真は昔の我が家の玄関です。ドミほりはまだ建っていません。時代は1961年、祖母の葬儀のときの写真です。表札の拡大を試みたのですが判然としません。おそらく渋谷区代々木上原町と表記されていると思います。
2020.11.30
ドミほり館生一人ごはんシリーズ、〇〇回目です。
正直、何回目だか覚えていませんのでごめんなさい。
今回はこれまでにも何回か登場してもらっている一年生の館生Oさんの料理です。
彼女は母が作る煮物料理が大好き。煮物料理が食べたくなると、上原駅近くのお惣菜屋さんに行って買ってくるほど。今回は煮物料理を自分で作ってみることに。もちろんはじめてです。
作り方はお母様やお姉さんに助けてもらいます。ファミリーでLineのグループで繋がっているのでいつでも助けを求めることができます。
今回のカボチャとベーコンの煮物、初めての挑戦ですが、自己採点で80点。よくできています。美味しそうです。
彼女、高校時代の料理経験は皆無、なのに半年ほどで彼女はここまで成長したのです。
料理はクリエイティブで創造的でかつ心をリフレッシュしてくれます。
自炊は大変なんて考えないでください。やってみればこんな楽しいことはないのですから。
2020.11.30
今日新しく引越し入館がありました。
彼女は昨年までドミほり館生でした。約一年、他の寮生活を経て今回再びのドミほり館生になりました。引っ越しはお母様の運転するマイカー、後部荷物室はダンボール等がイッパイ、ハッチドアを開けたとたん荷崩れがおきるほど。
引越しは大変です。パッキングして、運び出して、積み込んで、着いて車から降ろして、運んで、荷解きをして、整理してと大変な労働です。ご苦労さまです。