マッカーサー
2012.08.02
夏休みに入って、サークルや部活動の合宿に出かける館生が増えています。
今日、茶道部の合宿に向かうのは館生Rさん。
合宿先での4〜5時間に及ぶ正座を心配していました。
昨日から始まった退館引越しは無事にすべて完了。
お父様は会社を休んでマイカーで上京されました。御苦労さまです。
今日の写真は、このブログにしばしば登場する駒場公園(旧前田侯爵邸)です。
真っ青な空と真っ白な雲、そしてイギリスチューダー様式建築物の取り合わせを撮りたくなったからです。
この前田侯爵邸は1929年に建造されました。
当時のお金で150万円を要した建物で、贅をつくしたもの。
世間から批判も受けたようです。
今の価値に換算すると500億から1,000億円というから驚き。
使われている大理石やタイルは、いまや絶対に入手不可能なものばかりだそうです。
ヤツガレがここ代々木上原に住み始めたのは小学校4年になったときでした。
今から60年も昔、1952年のこと。
当時のこの駒場公園への思い出は玄関に立つ米軍のMPの姿しかありません。
前田侯爵邸は、1945年に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーのための官舎として接収されました。
ところが敷地が広すぎ、治安の収まらない当時としては警護がしにくいことから、マッカーサーは住まず、かわりに第五空軍総司令官の官舎となりました。
その後、マッカーサーの後任として赴任した第二代在日総司令官リッジウエィの官舎となりました。
こんな逸話があります。
リッジウエイはこの邸宅に住むに際し、使われていた絹織物の壁クロスが気に入らず、真っ白なしっくい壁に改造しようとした時のこと、これを聞いた前田侯爵夫人が烈火のごとく怒り、自身で乗り込み、優れた英語力で米人の文化レベルの低さをなじったそうです。
このとき、リッジウエイは“日本にこんな夫人がいるのか”と驚かれたそうです。
絹織物の壁クロスがどうなったかは定かではありませんが、いま用いられている壁クロスは、すでに当時のものではありません。
といいつつ、マッカーサーって誰? って声が聞こえてきそう。
昭和がどんどん遠ざかっていきます。