東京都渋谷区・代々木上原の女子学生会館

女子学生会館ドミトリーほり

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ドミトリーほり 館長ブログ

まず洗濯。

2012.08.06

         合宿に行って来まーす。                    帰省しまーす。

今日から合宿に行く館生、帰省する館生。

一方で合宿から帰館する館生も。

すこしお疲れ気味。

合宿から帰館してすぐにお風呂に入って、洗濯機に洗濯物を放り込み、とりあえず一寝入りするパターンが多いかな。

 

今日の東京、ときおり猛烈な雨が。

東京23区に大雨洪水注意報が出ていました。

 

 

午後、館生Kさんからお手製のパウンドケーキをいただきました。

いただいたときまだホカホカ、出来たて、湯気がでている感じ。

  「作ってみました。よかったら召し上がってください」

もちろん、即いただきました。柔らかくシットリしてとても美味しかったですよ。

ありがとうございます。ごちそうさまでした。

 

夕方、元館生Oさんが寄ってくれました。

仕事の話しやドミほり同期の近況など、とても楽しいひと時でした。


Harajyuku 夏 2012

2012.08.05

                                                          

合宿に出かけていた館生のうち数名が今日帰館する予定になっています。

一番で帰館してきたのは館生Nさん。

  「おかえりなさい!」

  「ただいま戻りました・・・」

すこしお疲れ気味のNさんは今流にいう山ガールです。

この日のファッションは、一流のクライマー姿です。

大きなリュック、クライミングパンツにトレッキングシューズ。

  「どこに行っていたの?」

  「槍ヶ岳です。天気が良くて、遠く富士山も見えました」

  「ご来光は?」

  「山頂を目指して小屋を出発したのが午前3時ごろ、残念ながら・・・」

 

 

今日、合宿から帰館する館生はきっと門限ギリギリ組が多いことでしょう。

みな無事に帰ってきてくれることを切に願っています。

 

 

夕方、原宿、代々木公園を散歩してきました。

公園の青空には赤とんぼの群れが・・。

夏のピークなのに、僅かに秋の気配を感じました。

つい先日始まったオリンピック。気づけばオリンピック開会式から早10日。

そう思うと、なんとなく夕方の風に優しさを感じるのは気のせいでしょうか。

 


補給基地

2012.08.04

  これから合宿です。  ヤツガレ、「うちの娘をよろしくお願いします」と。   館生Iさんにお友達が来館来泊されます。 久しぶりの再会です。(上) 館生Sさん、お買いものの帰りです。(右)

駒場キャンパスに近い当館は、ときおり物資の補給基地になります。

駒場祭やサークルの合宿などの際、模擬店で提供される食材や合宿先でのアルコールやおつまみなど一時保管、加工所、供給基地になります。

昨夜は、今日からの合宿に備え、購入してきた飲物やお菓子、花火などの物資が一時的に当館に保管されました。

そして今朝、それらの物資をキャンパスに運ぶため男の子来館。

この時、男子学生はほぼ奴隷です。もちろん女子生徒は王女さまと言う具合。


イギリスへ。

2012.08.03

                               

朝8時半、新入館生Y.Cさんがお出かけ。

  「大学にリポート提出するだけなんです」

  「リポート完成したんだ。もしかして完徹?」

  「はい」

  「お疲れさま。じゃぁ、帰って即寝る? それともハジケる?」

  「多分、はじけると思います」

ようやく試験が終わって夏休みに入ったのですから、まずはお友達と打ち上げですよね。

10時少し過ぎ、新入館生Y.Rさんが楽器ケースを提げておでかけ。

   「図書館でリポート作成のための資料を探して、昼からサークルの練習です」

彼女は南米音楽のサークルでチャランゴという楽器を担当しています。

この楽器の名前、一度で憶えられず、いままでに何度も聞いています。

そして二年生のK.Mさん、背中にギターを背負ってお出かけ。

彼女のサークルはバンドです。彼女はリードギター兼メインボーカル。

間近に予定されている公演では彼女初のキーボード弾きながらのボーカルだそうです。

昼過ぎ、見学者が来館されました。

母親とお嬢さんの二人。

まったく嫌になるほどの暑さ。こんななか遠く山形からお運びいただき恐縮いたします。

夕方、4年生の館生F.Rさん、約二週間のイギリス旅行に出発です。(写真)

行先はオックスフォード、ケンブリッジの大学。

元気に旅立って行きました。

いっぱい思い出を作ってきてください。


 



マッカーサー

2012.08.02

夏休みに入って、サークルや部活動の合宿に出かける館生が増えています。

今日、茶道部の合宿に向かうのは館生Rさん。

合宿先での4〜5時間に及ぶ正座を心配していました。

昨日から始まった退館引越しは無事にすべて完了。

お父様は会社を休んでマイカーで上京されました。御苦労さまです。


今日の写真は、このブログにしばしば登場する駒場公園(旧前田侯爵邸)です。

真っ青な空と真っ白な雲、そしてイギリスチューダー様式建築物の取り合わせを撮りたくなったからです。

 

この前田侯爵邸は1929年に建造されました。

当時のお金で150万円を要した建物で、贅をつくしたもの。

世間から批判も受けたようです。

今の価値に換算すると500億から1,000億円というから驚き。

使われている大理石やタイルは、いまや絶対に入手不可能なものばかりだそうです。

 

ヤツガレがここ代々木上原に住み始めたのは小学校4年になったときでした。

今から60年も昔、1952年のこと。

当時のこの駒場公園への思い出は玄関に立つ米軍のMPの姿しかありません。

 

前田侯爵邸は、1945年に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーのための官舎として接収されました。

ところが敷地が広すぎ、治安の収まらない当時としては警護がしにくいことから、マッカーサーは住まず、かわりに第五空軍総司令官の官舎となりました。

その後、マッカーサーの後任として赴任した第二代在日総司令官リッジウエィの官舎となりました。

 

こんな逸話があります。

リッジウエイはこの邸宅に住むに際し、使われていた絹織物の壁クロスが気に入らず、真っ白なしっくい壁に改造しようとした時のこと、これを聞いた前田侯爵夫人が烈火のごとく怒り、自身で乗り込み、優れた英語力で米人の文化レベルの低さをなじったそうです。

このとき、リッジウエイは“日本にこんな夫人がいるのか”と驚かれたそうです。

絹織物の壁クロスがどうなったかは定かではありませんが、いま用いられている壁クロスは、すでに当時のものではありません。

といいつつ、マッカーサーって誰? って声が聞こえてきそう。

昭和がどんどん遠ざかっていきます。

 


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